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​森重の沿革

森重(もりじゅう)の鰻は、初代十助が1830年(天保初期)頃、江戸深川八幡宮前で鰻料理を習い、のちに大阪風を取り入れた本筋の鰻を焼いたものです。

1839年(天保10年)、江戸と大阪での修行から姫路へ帰ってきた初代十助は、妻・コトとともに魚町光明寺にて料理店を構えました。その創業面においては姫路藩家老・河合寸翁に命じられた姫路藩士・武井領八(武井守正の父)の援助が大きかったそうです。

1848年(嘉永元年)、十助の子・二代目重吉の時、河合家と姫路藩士達の後援もあり、坂元町武徳殿前通りに新たに店舗を構え、屋号を森重(もりじゅう)としました。これが『森重』としての歴史の始まりです。

明治維新の時には、勤王の志士達が京へ向かう途中に森重へ立ち寄りましたが、当時のお得意様名簿の中には、土佐藩士の坂本龍馬をはじめ、肥後の住江甚兵衛、津山の鞍掛寅治郎等の名前が残っていたそうです。

 

明治中期(三代目・重吉の時)には、明治天皇が陸軍大演習のために九州へ向かう途中、姫路にも立ち寄られましたが、その際に森重の鰻料理を献上し『臨時大膳職』を仰せつけられる栄光に即しました。

第二次世界大戦中の昭和20年6月の大空襲により坂元町の家屋一切を焼失してしまいましたが、その後五代目の時に店舗を魚町へ移し、現在に至っております。

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